はじめまして!
結婚相談所 Blooming Day 代表カウンセラー 妹尾 有里子(せのお ゆりこ)と申します。
平成元年生まれの36歳。京都市で生まれ育ちました。
2024年10月にイメージコンサルタントとして活動を始め、プライベートでは結婚12年目、2児の母です。
今こうして、結婚相談所の仲人としてブログを書かせていただいているのが、ありがたくもあり、とても不思議な感覚です。なぜなら、結婚相談所の仕事をさせていただけるなんて、1年前の私は1mmも想像していなかったからです。
今回は自己紹介も交えながら、どうして私が結婚相談所の仲人を志したのかについても触れていければと思います。
大学卒業から上京、就職後に職場結婚

大学では地元の立命館大学で国際関係学を学びました。その後、就職を機に上京。
全日本空輸株式会社に入社し、特定地上職(グランドスタッフ)として羽田空港で勤務しておりました。
職場にて、夫と出会い結婚。結婚を機に自分の意志で専業主婦になりました。
夫は「ゆりちゃんの好きなように選んでいいよ」と仕事を継続することも尊重してくれていましたが、
「結婚をしたら私が家庭を守る」これが私の当時の考えで、自然な選択でした。

有里子の暗黒時代突入 顔面神経麻痺

そんななか、第一子を妊娠。臨月の時期に突如、顔面神経麻痺を患いました。
ここから私の暗黒期時代の始まりです。当時27歳でした。
臨月で出産予定日の1週間前に突然、耳鳴りから始まり、あくびをする際に、左側の口の開きに違和感を感じました。
驚きと戸惑いで頭が真っ白。その日のうちに、顔の左側が全く動かなくなってしまいました…
瞬きができない。目を閉じているつもりでも白目。口角が垂れ下がり、口を閉じることができない。
食べ物も、飲み物も口からこぼれる。本当に絶望的でした。
出産も間もなくなのに…このままで無事に出産できるのか、お腹の子には何も異常がないか
果たして顔は元に戻るのか…心配と不安で押しつぶされそうになりました。
幸い、MRIで脳には異常はなく、原因は不明ながらも、ストレスだろう・・・と診断されました。ステロイドや薬の治療を勧められましたが、お腹の子への影響を考え、出産までは特に何も治療をしない事に。
無事に出産 産後に父の針灸治療スタート
そして約1週間後、無事に出産しました。幸いにも子どもは元気で、健康に生まれてきてくれました。
というわけで、私の顔面神経麻痺の治療は、産後から始まりました。
1日2〜3時間毎に授乳をしていた為、母乳への影響を鑑み、ステロイドや薬等は行わず、父が針灸師ということもあり、鍼やお灸の鍼灸治療を始めました。
しかし、育児による睡眠不足、お産が重かったので産後の体調不良と付き合いながらの鍼治療だったので、 ゆっくり身体を休める事はできず、すぐに変化を感じられませんでした。
鏡に映る自分を見るのが辛すぎて苦しかったです。見た目だけではなく、顔が動かない不便さが尋常ではなく、想像以上に日常生活が大変でした。
次第に人に会いたくなくなり、家にひきこもってしまいました。友人からの連絡にも返事ができない精神状態でした。産後鬱です。
子どもと写真を撮っても麻痺で笑顔になれず笑って写真が撮れない… 赤ちゃんの貴重な時期なのに…と落ち込みました。 毎日、毎日、泣いて、夫にいつも八つ当たりしてしまいました。
しかし、父の鍼灸治療の甲斐があり、発症から2ヶ月程経った頃から、ピクピクと微かに顔が動くように。 その時の感動は今でも忘れません。
産後4か月 うつむきながら初のお出かけ
そこで、子どもが成長するにつれて、お出かけしてあげたい、お友達をつくってあげたい…と思えるようになり、
生後4ヶ月後に、はじめて地域の子育てセンターに遊びに行きました。顔は、まだまだ麻痺していたので、うつむきながら…しかし、結果的に子どものおかげで思い切って外に出る事ができたのです。
発症から9年経った現在は、ぱっと見では顔面神経麻痺だと分からないまでに治りました。

自分自身の感覚では、まだ違和感もあり、左の頬にずっと錘をぶら下げているような重さを感じます。表情筋が突っ張った感じがあり、後遺症によるほうれい線も。いまだに口を窄める事が出来ないので、不便さは残っていますが、鍼灸も継続して回復してきたのでありがたいなぁと思っています。
そんな私がどうしてイメージコンサルタントを志すようになったのか・・・次の記事でお話したいと思います。




